20191126-1120手刀ノ話。
20191120池袋手刀
ひとまずは本年最後の曖ノ音を無事終えることができました。
皆様ありがとうございました。
2019.11.20 池袋手刀 曖ノ音ノ演目
1,青無私。
2,生まれ月
3,新曲
4,不安ノ華
曖ノ音納めと言えど久しぶりの曖ノ音であった事には違いなく、
初心思い出し、且つ何か新しい事をと考えた結果の演目です。
のっと暖ノ音。
いえす曖ノ音。
三曲目にぶちこみました新曲。
アイデア降ってきたのは11/20より遡る事一晩と少し。
11/19の夕空が連れてきてくれたようです。
(↑ここで少しだけお裾分け。)
人間って、
生きてるの疲れるじゃない。
全部が上手くいって、
なんの窮屈もなく、
妨害もなく、
しがらみも無ければ疲れないだろうけど。
(ちなみにそれじゃあ私は唄は書けない)
当たり前に目が覚め、
当たり前に息をする
こんな歌い出しから始まる曲なのだけど、
この曲が生まれた日の私の情景そのまま投影して作られた映画みたいなもんで、
日々訪れる当たり前に対して
当たり前ってつまり何よ?
ただの歯車?
繰り返し?
あ、これは駄目だ。
死にたい。
そんな感情に夜と共に飲み込まれ、
溺れる私を音が手を伸ばし、
闇雲に息を求める深海を這うように
弾いては唄い、
唄っては弾く。
ただ自身の感性に正直になって。
成功した人はどんな綺麗事を言ったって正解になるし、
まだ成功してない奴にはいとも容易く感情論を押し付けたりする人もいて、
私は間接的に受けたんだけど今でも忘れられなくて、この日には特に色濃く記憶に浮かび上がって。
「咲かない花はない。」
そんな綺麗な願いが、言葉が叶えばどれだけ素敵だろう。
でもそんな上手い話ばかり転がっちゃいない。
そういう言葉が咲かない花の居場所を奪い、
悪びれる事無く枯らしてゆく。
ならいっそ一度さんでしまえば楽になれる。
またいつでも初めに戻れる。
私なりのポジティブ思考なのかもしれない。
自分で自分を振り返り思った事はこれくらいで。
あとはこの先この唄が、
どんな形で姿を成すか。
どうぞ今後の曖ノ音にご期待下さい。
叭紅
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